【10】part①今まで感じたことのないどうしようもない゛おひとりさま”の寂しさ 

おひとりさま

とてつもない゛おひとりさま”の寂しさと孤独感

帰省していた娘夫婦が、3週間の日本滞在を終え、

今日スイスへ帰国しました🛫

今頃はまだ飛行機の中でしょう

今朝、駅まで見送りに行きましたが、今回はどういうわけか、

本当に寂しくてどうにもなりません😔😔😔

体からすべての気力が失われたかのように

腑抜け状態で一日を過ごし😑😑😑

ようやく今、少し何かをしようかな🙉という気持ちになり、

このブログを書いて気を紛らわせています

なんだろう、この孤独感は

私には娘が一人いて、長らく母子家庭でした

私の両親はすでに亡くなり、実家もありません。

今はすっかり゛おひとりさま”になり、

気ままに暮らしています😄😄

娘は昔から海外に興味津々で、

独学で英語を勉強し、

大学では日本語講師の資格を取り、

バイトを掛け持ちして

お金を貯めては

海外旅行や短期留学を繰り返していました

私も昔から海外には興味があったので、

娘の頑張り💪🏻を陰ながら応援し

「いつか娘は海外で仕事ができたらいいな」

と淡い期待を抱いていたものです。

娘がどんな形であれ自立すれば、

私は゛おひとりさま”になる

その覚悟はしていました

むしろ、おひとりさまに憧れ、

自由気ままな生活を心待ちにしていたくらいです。

…なんだか色々なことを思い出します😭

記憶を辿りながら、

ここに書き留めていこうと思います……

私はこれまで看護師として、まさに仕事人間でした。

別に仕事にやりがいを感じていたわけでもなく、

ただ生活のためだけに働いてきたような感じ

だから、53歳👩🏻になった今、

「若い時にあんなこと、こんなことをしておけば良かった」と、

ものすごく後悔しています。

まあ、実際やれたとしても度胸もお金もなかったし、

やりたいことも特に見つけられず、

結局は仕事だけの人生だったとは思いますが…。

娘には「やりたいことがあるならやればいい」というスタンスで、

ほとんど干渉せず静観していました。

ただ、静観といっても、

人生を台無しにするような間違った方向に行かないよう🙅🏻‍♀️

娘の様子は常に伺っていましたよ😮‍💨

娘、スイス人との出会い

今から約5年前、

娘はワーキングホリデーの資金を貯めるため、

バイトに励んでいました

ところが、例のコロナ禍です😰😰

ニュージーランドに1年半行く予定だった娘の計画は、

あっさりおじゃんになってしまいました😫

夢や希望を持っていた当時の若者たちは、

本当に可哀そうな数年だったと思います

若者だけではないですけどね…。

海外を諦めきれない娘は、

流行りのアプリなんかで海外の人との交流を

盛んにしていました

娘から出てくる人の名前は、ほとんどが海外の人

いくら静観しているとはいえ、

そんな娘の行動を日々心配ばかりしていました🥶🥶

それでも、口出しはしませんでしたけどね😓

ちなみに娘は、親の私が言うのもなんですが…

今どきの日本の可愛い女の子とは程遠く、

特別美人でもなく、

化粧にもさほど興味がないタイプでした

小学校からどの年代でも友達はほとんど男の子で、

女子の中には入れないような、

見た目も男子っぽい娘😓

20歳過ぎても当時着ていた服は、

主にスポーツメーカーのジャージの上下でした(笑)

そんなある日、

家のガレージに、

いかにも「THE!ヨーロッパ人👱🏻」

という感じの人が立っていて、

仕事帰りの私を見ると

いきなり直立不動で固まり、

緊張しながら挨拶してくれました🤭🤭🤭

私は「外国人の友達の一人なんだろうな」

と何も思わず、軽く会釈だけしました。

その方が、現在の娘の夫、

つまり私の義理の息子婿殿です😱

その一瞬会っただけでしたが、

なぜか好印象だった事を覚えています

なぜ好感を持ったのか後で考えると…

その数ヶ月前に娘から

「終電に乗り遅れたから迎えに来て」と連絡があり、

「もー💢」と思いながら駅で待っていると、

イタリア人と一緒に私の車に向かって

娘が歩いてきたことがあり、

「おや?」と思って見ていると、

そのイタリア人が「ハーイ、マム!!」と

軽いノリで車に乗ってきて…

この深夜に迎えに来てやっているのに・・😤😤

「何?この外国人さんは誰や?」と言わんばかりに、

娘に目で合図したことがあったんです(笑)。

…そんな出来事の数ヶ月後に、

この直立でガチガチに緊張した挨拶を受けて、

「あー、こんなに緊張する外国人もいるんだなー」

と思ったのを覚えています🤭

そのスイス人の青年(婿殿)は、

流行りのアニメで日本に興味を持ったそうで、

そのアニメの本を読みたいから

日本語を勉強したとのこと

そして日本が大好きになり、

最初は神戸に1ヶ月間、語学も兼ねて来たそうです

その後、スイスの大学院のロング・インターンシップで、

初参加の日本の企業が奈良県にあり

半年間奈良に来ることに・・😀

しかし、世間はコロナ禍の真っ只中😔😔

お婿さんもあまり活発に日本を楽しめず、

狭い寮で精神的に参っていたそうです

そんな中、誰か話し相手が欲しいと、

日本人の女の子をアプリで探し、

近くに住む娘とマッチング!

会うことになったそうです。

娘は英語で話せる友達作りのため、

積極的に海外の人と日本で会っており、

その時はコロナ禍のためお互い

近くでのマッチングとなりました😊

相変わらずのスウェットに

すっぴんで会いに行ったそうです

お婿さん曰く、日本の可愛い女の子は

キラキラしていて少し苦手意識があり、

男の子のような娘…😓

登山をしても弱音を吐かない強い娘…😔

がとても新鮮で、一緒にいて楽しい人だと

好いてくれるようになりました🥰

そして、付き合うことになったそうです

娘から「そのスイス人がおかんに挨拶したいって」

と聞かされ、

私は「へー🤔付き合ってるんやー。

そんな堅苦しい挨拶なんかしなくてもええのになー」と、

まさか結婚することになるとは思っていなかったので、

ほんとに軽く聞き流していました。

今回、娘夫婦と話していて改めて知ったのですが…

 ●初参加した企業が偶然にも隣町だったこと

 ●お婿さんがスイス人で自然や登山が大好きだったこと

 ●奈良県は程よく山が見渡せ、

  山育ちのスイス人の居心地がよかったこと

 ●コロナ禍で娘のワーホリ計画がなくなったこと

 ●コロナ禍で自由にならず行動制限がかかっていたことで、

  お婿さんが精神的にかなり参っていた時に、

  一風変わった日本人の女の子(娘)に出会い、

  登山に連れ出してくれ、

  その女の子が男子並みの体力だった事(笑)

…など、ある意味娘と会ったことは「運命だった」と、

お婿さんが嬉しいことを言ってくれました。

そうして、スイス人青年のインターンシップも終わり、

帰国することになり、そしてこれも運命だと思うのですが、

コロナ禍で世界が鎖国状態の中、

マルタ共和国が留学生を受け入れており、

スイス帰国と同時期に、

娘もマルタ共和国へ半年間語学留学に行ったのです

娘が海外へ行くたびに募っていた私の心配は、

なぜか今回は軽やかでした

私以外もう一人、

娘の心配をしてくれる人がいる😊😊

海外で何かあったらどうしよう、

という漠然とした不安は薄れ、

私の心は不思議と穏やかでした

しかし、その頃は遠距離恋愛だし

自然消滅するだろうなーと思っていました…

長くなったので続きは次に・・・

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